2011年4月27日水曜日

静剣連広報創刊号(昭和47年6月)扉写真のこと



(三島剣道連盟五十五周年記念「三島剣道連盟のあゆみ」より抜粋)
故 羽賀忠利先生・文


… 次に三島の名物男と言えば皆さんも思い出すと思いますが、中川辰男と言う人であります。
中川氏は読売新聞社の記者で三島へ移り住んで来た。剣道段位の事で私といろいろあった事から親しく交わるようになったが、剣道をこよなく愛する人でありました。
昭和46年に静岡県剣道連盟で広報誌を発行する事になり、私が広報委員長となりました処、中川氏自ら買って出て広報に関する仕事を進めてくれて大変助かったものでした。原稿の割り付けから写真の選択等々編集までやってくれるので大助かりでした。
皆さんの中には記憶しておられる方も多い事と思いますが、県剣連広報第一号を六月に発行するに当たり表紙写真の事で、第一号だから記念すべき良い写真をということで、種々検討の末に中川案を採用して出来たのが、静岡県剣道界を将来背負って立つ人物を載せようという事で、当時の若手のホープであった三島の飯塚才司君と静岡の滝川貞司君を指名して、飯塚が上段で滝川が中段で相対し、審判員には中村昇一、大橋専一両氏を配しての写真が出来た訳です。
正に的中で片や飯塚才司氏は剣道範士八段で県剣連会長として、片や滝川貞司氏は剣道八段教士で県剣道連盟副会長としての活躍は、予想的中で将に名伯楽の慧眼とも称すべきものでありました。 …